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第二尋常小学校跡
安二郎は松阪への引っ越しにより、第二尋常小学校4年に編入となります。明治19年(1886年)、小学校令が公布され、満6歳になると、まず尋常小学校に入学し、義務教育として4年間勉強してから、さらに上の高等小学校に進むように決められました。
大正7年の1月1日の日記には「…昼よりは始球式をす。第二学校は度々硝子を割ると云って中止されたから神戸学校(現第五小)にて球を失うたから乾の家に行って歌留多をす。…」とあります。
学校を遊び場にのびのびと過ごしていたことがわかります。小学校は昭和26年(1951年)に松阪大火の火元となり焼失してしまい、現在はその一角が五十鈴公園となっており、安二郎がボールを追いかけて走り回っていた名残が感じられる場所でもあります。この頃の第二尋常小学校は湊町(現・五十鈴町)にありました。
住所 |
松阪市五十鈴町 |
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