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旧三重県立工業高校
(現・三重県立松阪工業高等学校)
三重県立工業学校は、明治35年(1902年)に開校した県内初の工業学校です。製図室は、明治41年(1908年)に建設費2,400円余りをかけて建設されました。「赤壁(せきへき)」の愛称で親しまれ、明治後期の三重県の公共施設の作風をとどめるものとして、貴重なものです。
大正7年4月、5月の日記には毎日のように野球に関する話題が出てきます。同年8月23日には「乾と工業に行き野球を見る」24日には「工業の下手な野球を見る」とあり、野球に参加したり観戦したりした後に、批評めいた感想があります。
この頃から、かなりの野球好きだったことが日記からも伝わってきます。また、工業学校には安二郎の遊び仲間である兄・新一の同級生(藤田)が通っており、学校近くに遊びに出かける時は、よく“かまって”いたことが大正7年の日記から読み取れ、ここも馴染みの場所のひとつだったと思われます。
住所 |
松阪市殿町1417 |
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