◆松阪観光魅力発掘Web記事募集受賞作品(佳作)◆
今に続く三越や三井グループの祖である三井高利が松阪の出身なのも、国学者で古事記伝を著した本居宣長(1730-1801)が 72 歳で亡くなるまで松阪に暮らしたのも、蝦夷地探検をなし北海道の名付け親といわれる松浦武四郎(1818-1888)が松阪生まれなのも、世界の小津といわれる映画監督・小津安二郎(1903-1963)が松阪で育ったことも、縞模様の松阪木綿が作られているのも、松阪牛が全国ブランドになったのも、「意外にも、地方の田舎町なのに」と思っていないだろうか。どれもが、「た・ま・た・ま、偶然松阪だった」と思っていないだろうか。
江戸時代、日本最大のパワースポットである伊勢神宮への参拝、伊勢参りが爆発的に人気となった。日本各地から神宮へ人が集まった。神宮へ繋がる参宮街道の町として、松阪は日本中から人、情報が集まる、停滞することのないとびっきりの鮮度抜群の情報都市であった。
他の土地で人々が何を求めているのか、どんなものが売れるのか、松阪にいながら商人たちはキャッチすることができた。京や大阪、そして発展途上にあった大都市江戸に店を構え、江戸で売れるものを松阪から発信した。日本指折りの豪商たちが松阪で育った。
絶えることのない人の波、様々な方言を話す人たちを見て、「この人たちはどこから来たのだろう、日本人とは何だろう」と、少年本居宣長は思っただろう。行き来する人々を眺めて、 松浦武四郎は「自分も旅をしてみたい」と思っただろう。
松阪が輩出した人物や松阪が生み出した産物は、たまたまではなく、必然とさえ思えてくるのだ。
人々の暮らしは景色を作っていく。仰げば小高い松坂城跡が見える。一見無造作に積まれたような野面積みの石垣が、戦国の世に築かれた城を語っている。城の麓には城を守る武士の、街道沿いには大商人の、小さな商いをする人は小さな商人の、暮らしが反映された町の表情が残る。今の景色にかつての暮らしが記憶されている。
時代と共に景色の上に今の暮らしが上書きされていくように、少しづつ町の表情は変わっていく。家々を囲む美しく刈り込まれた槙垣(まきがき)、そして石畳。町のあちこちに残る丸いポストが、景色にかわいくアクセントをつけている。 景色を守るのか、作り変えるのか、住民に託されてきた。託された結果としての今の松阪の景色、表情があるのだ。
代表作「檸檬(れもん)」で知られ、31 歳で亡くなった作家・梶井基次郎は、大正 13 年(1924)23 歳のひと夏を松阪に過ごし、その時の体験を2年後の大正 15 年(1926)に「城のある町にて」という小品に著した。
姉家族の家に滞在していた時の、小さな出来事をつづって、取り立てて大きな事件が起こるわけではない。その中に松阪の情景が淡々と記されている。
「………空は悲しいまでに晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。…… ただそれだけの眺めであった。何処を取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。……時どき煙を吐く煙突があって、田野はその辺りから展けていた。レムブラントの素描(デッサン)めいた風景が散らばっている。……夢で不思議な所へ行っていて、此処は来た覚えがあると思っている。……丁度それに似た気持ちで、えたいの知れない想い出が湧いて来る。……… 」
今、松坂城跡に登ると「城のある町にて」の一節が刻まれた碑がある。その一節とそれほど変わらない風景を、とりわけ、町を抜けて遠くに見える水平線の伊勢湾の変わらない藍色を、今も見るだろう。
影を抱え持った 100 年前の青年の心は、穏やかな松阪の景色を通して、そこはかとなく 癒されていったのだ。
本居宣長記念館に行ってみよう。
17 歳の本居宣長が描いたという縦120 ㎝横 200 ㎝の大きな日本地図、そこには 3019 の地名、254 の城主名、街道その他の詳細な情報が記されている。行ったことのない土地の地名を書きながら、3019 も!つかみ切れない日本をつかもうとしていたのだ。
19歳の頃に描いたといわれる「端原氏系図」と「城下絵図」に、端原氏という架空の一族の系図を作り、架空の城下の地図を描いた。実に詳細な地図で、これぞまさにオタクの作品だ。黒い羽織のようなものを羽織った辛気臭いおじさん風の宣長とは別の、今のゲーム少年につながるような、若者の想像力の大きな羽ばたきを見るような思いがする。
若き日のエネルギーが、30歳を過ぎてからの古事記の研究へと収斂し、35 年後に 44 冊の「古事記伝」出版となって大きな実を結ぶ。立派な業績とそれを可能にした努力に感嘆すると同時に、今ならばさしずめゲームクリエイターであろう若き日の空想の翼に、今の私たちに繋がる親近感を覚えるのだ。
さあ、お腹が空いた。松阪牛を食べよう。どこのお店に行こうか。どこに行ってもやわらかな松阪弁が迎えてくれるはずだ。
応募者 愛知県名古屋市 磯前 睦子