豪商のまち 松阪

豪商のまち松阪と江戸・日本橋

江戸時代、東海道をはじめ五街道の起点であり、日本各地を結ぶ中心地であった日本橋は、京・大阪に代わる政治・経済の拠点として誕生した新興都市「江戸」のシンボルでもありました。架橋直後から、周辺には伊勢(松阪)商人、近江商人をはじめ、多くの商人が集まり、様々な業種の店が暖簾を並べています。そして、江戸以来の家業を継続・発展させてきた老舗が、今も数多く存在し、また時代の先端をいく新たな企業も進出するなど、現在に続く金融・商業・文化の一大情報センターへと発展しています。

松阪地方からは、三井・長谷川・小津・國分など多くの豪商を輩出するとともに、日本橋界隈は現在も活躍・躍進する老舗企業もあり、「豪商のまち松阪」と「江戸・日本橋」は歴史的につながりがある場所となっています。

過去

徳川家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)、木造の太鼓橋「日本橋」が架けられ、日本橋川と呼ばれるようになりました。翌年、日本橋は江戸と全国を結ぶ五街道の起点とされ、水運を整備し、河岸(魚市場)や大店が並ぶ、江戸第一の商業中心地として発展していきました。

現在

日本橋を中心に大手企業の本社が数多く建ち並び、今も商業と文化の街としての賑わいをみせています。また、老舗などの歴史的建築と高層ビルが共存する、ユニークで美しい景観が楽しめる街となっています。現在、「名橋『日本橋』保存会」が中心となり、日本橋を交差する高架高速道路を地下に移設するなどの方法により、日本橋を蘇らせる計画が進められています。

松阪商人

伊勢国出身の商人を伊勢商人と呼び、その中でも最も勢力を誇ったのが松阪の商人です。松阪商人の最大の特徴は江戸店持ちであることです。木綿やお茶という特産品があったことや、お伊勢参りの人々によって最新の情報が入手しやすかったことから、こぞって江戸に店を開きました。江戸時代中期には、50軒もの松阪商人が江戸に出店(でみせ)を構えていました。

三井高利

三井家発祥地(松阪市本町)

天和8年(1622年)に8人兄弟の末っ子として生まれた三井高利は、14歳から江戸で兄・俊次の手伝いを始め、28歳の時に母の世話をするため松阪に帰郷します。子どもたちとともに江戸と京都に呉服店を開いたのは52歳の時でした。以降、65歳で京都に移るまで松阪に居ながら、母から受け継いだ抜群の商才で2つの出店の指揮をとり、驚異的な成功を収め後の三井グループの礎を築きました。

松阪市には、松阪市指定史跡の三井家発祥地があります。内部は非公開ですが高利の産場(うぶゆ)に使われたという井戸が残されています。

三井高利(みついたかとし)

高利が延宝元年(1673年)に江戸随一の呉服街であった日本橋の本町1丁目に開いた小さな店が「三井越後屋呉服店」のはじまりです。京都にも「越後屋」の仕入れ店を開き、京都店は長男・高平、江戸店は次男・高富に管理させました。江戸店は天和3年(1683年)に駿河町(するがちょう)(現在の室町)に移転し、後に巨大な店となり、駿河町はその後も江戸における三井の中心であり続けて今日に至ります。

小津和紙

旧小津清左衛門家(松阪市本町)

小津清左衛門家は、三井家、長谷川家、長井家よりも早く江戸に店を構えた松阪商人です。3代目の長弘が承応2年(1653年)に江戸大伝馬町に紙店「小津屋」を出店しました。その後、隣地に木綿店「伊勢屋」、江戸日本橋本町(ほんちょう)に紙店「大橋屋」を開店。出版業界の活気とともに売り上げが伸び、江戸一番の紙問屋となりました。松阪市本町(ほんまち)にある小津家の建物は県の有形文化財に指定され、「旧小津清左衛門家」として一般公開されています。

小津和紙(中央区日本橋)

小津和紙を経営する株式会社小津商店は、松阪商人の小津清左衛門が360年前に江戸店を持った場所で、現在の東京都中央区日本橋本町に小津本館ビルを構えています。

この小津本館ビルに入る小津和紙は、手漉き和紙および和紙関連小物を販売する「店舗」、小津和紙に関する古文書類などを展示する「小津史料館」、多種多様な和紙文化・日本文化と楽しく触れ合う場を提供する「小津文化教室」および「小津ギャラリー」、気軽に和紙に触れ親しみを持ち知ることのできる「小津和紙照覧」。手漉き和紙の製作を体験できる「手漉き和紙体験工房」で構成されており、和紙の魅力と日本の伝統を伝える文化拠点となっています。

國分勘兵衛家

國分家(松阪市射和町)

國分家は、醤油醸造で富を築いた豪商です。正徳2年(1712年)に4代勘兵衛が江戸日本橋本町に「大国屋」を出店し呉服とともに常陸国(今の茨木県)土浦で醤油醸造業に着手したのが始まりです。特に上質な醤油に「亀甲(きっこう)大」印を付け売り出しました。なかでも銘柄「むらさき」は高級醤油として大変評判となったそうです。國分家はその後、お茶やビール、缶詰など幅広く取り扱う食品の総合商社になっていきます。松阪市射和町にある國分家は、今もいくつもの蔵を有し、江戸時代の豪商「大国屋」の面影をしのばせてくれます。

国分グループ本社株式会社(中央区日本橋)

國分家がはじめた「大国屋」は、明治期には醤油醸造業を廃止し、広く食品を取り扱う卸売業(問屋)となりました。明治20年(1887年)に、缶詰の販売を開始、明治21年(1888年)にはビールの販売を開始、明治41年(1908年)にはおなじみの「K&K」を商標登録し、大正8年(1919年)には新たに誕生したカルピスの将来性に着目して、発売と同時に取り扱いを開始するなど、新しい食品の取り扱いに挑戦し、発展を遂げてきました。平成24年(2012年)に創業300年を迎え、平成29年(2017年)には国内卸売業の組織を再編し、グループのヘッドクオーターとなった国分株式会社は国分グループ本社株式会社へ社名変更し現在に至ります。

ちくま味噌

竹口家(松阪市中万町)

伊勢国乳熊郷(松阪市中万町)の竹口作兵衛義道が慶安年間(1648年~1651年)に江戸に進出、日本橋に塗物店を営み、作兵衛勝義(後、通称を喜左衛門と改む)が元禄初年(1688年)に深川永代橋際に味噌醸造を始め、「乳熊屋作兵衛門商店」としたのが、ちくま味噌の始まりです。

文政12年の大火、安政の大地震、幕末、明治維新、大正大震災と歴史の波にもまれながらも、江戸から東京へ変遷と共に発展を続け昭和6年より10年に掛けて、大震災の経験を基として近代的の三階鉄筋コンクリートの工場を建て販路は東海道より北海道にまで及ぶ様になりました。

江戸甘味噌(株式会社ちくま味噌)

創業以来、栄枯盛衰そのどちらも経験しているちくま味噌。お味噌汁を食べなくなってしまった家庭が増えていると言われて久しいなか、忙しい現代社会だからこそ、必ずや味噌の効用が再認識されるものと信じ、常にその時代のお客様の求める声に耳を澄ませ、人々の健康を念じて操業を続けています。

お味噌は国産米、国産大豆を使い、甘味料や防腐剤を使わない無添加のものや低塩化したものなど健康志向に合ったものを取り入れています。また、全国の美味しいもの、いいものを選び出しインターネットで購入できるように、「美味しいいいもの」のネーミングをつけての販売もしています。

松阪もめん

天然の藍(あい)で染めた糸で縞柄(しまがら)模様を織りあげたものです。一説には、松阪市湊町出身の貿易家・角屋七郎兵衛(かどやしちろべえ)がベトナムから送った柳(やなぎ)の葉脈(ようみゃく)のような細かい縞柄の「柳条布(りゅうじょうふ)」をヒントに、松阪商人たちが縞柄のデザインを用いたともいわれています。当時は倹約令(けんやくれい)で派手な装いができなかったため、安くて丈夫で美しい松阪もめんは江戸っ子の心をつかみ、大ヒット商品になりました。

松阪もめん

天然の藍(あい)で染めた糸で縞柄(しまがら)模様を織りあげたものです。一説には、松阪市湊町出身の貿易家・角屋七郎兵衛(かどやしちろべえ)がベトナムから送った柳(やなぎ)の葉脈(ようみゃく)のような細かい縞柄の「柳条布(りゅうじょうふ)」をヒントに、松阪商人たちが縞柄のデザインを用いたともいわれています。当時は倹約令(けんやくれい)で派手な装いができなかったため、安くて丈夫で美しい松阪もめんは江戸っ子の心をつかみ、大ヒット商品になりました。

松阪縞

江戸時代の中頃、遠くからは無地のように見え、近づくとおしゃれな縦柄がわかる粋な松阪縞のデザインが江戸っ子の心をとらえました。歌舞伎の世界にも広まり、縞柄の着物を着ることを「マツサカを着る」という言葉まで生まれました。藍染は染め方で微妙な濃淡を表現できるため、縞柄のバリエーションは無限にあり、当時からデザインブックともいえる縞柄の見本帖もありました。

旧長谷川治郎兵衛家

長谷川家は、小津家、長井家と並ぶ松阪屈指の豪商です。

3代目の次郎兵衛政幸が延宝3年(1675年)に江戸大伝馬町に木綿店「丹波屋(たんばや)」を出店しました。長谷川家は本店のほか、新店、亀屋、戎屋(えびすや)、向店と江戸に5軒の店を構える木綿商となります。地道な営業を旨とし、木綿問屋組合を設立するなど、松阪商人の結束をめざす活動を行いました。松阪市魚町にある旧長谷川家の本宅は国の重要文化財に指定され、「旧長谷川治郎兵衛家」として一般公開されています。

松阪市産業振興センター(1階

「豪商のまち松阪」と呼ばれる理由とは。

「江戸・日本橋」と「松阪」の繋がりとは。

松阪の昔と今を常設展示でご紹介。

地域物産・地場産業の振興をはかり、地域経済の活性化に貢献することを目的としてさまざまな活動で利用されている産業振興センター。かつての三井家の跡地にあり、1階で、「豪商のまち松阪」と「江戸・日本橋」をテーマに、松阪の豪商、松阪と日本橋の繋がりを紹介しています(常設展示・無料)。

日本橋の今昔(いまむかし)

自動車や電車がない時代、物理的にも感覚的にも遠かったはずの江戸の街に見える松阪の豪商の名。そして今もなお日本橋に残る松阪の豪商の名。そんな松阪とゆかりの深い日本橋の今と昔の姿をパネル・動画で解説。会場中央では江戸時代の日本橋の様子を表した「日本橋ジオラマ」を展示しています。

三井家と松阪

「三井グループ」の祖であり、松阪を代表する豪商・三井高利。そのルーツや三井家発祥地、越後屋などに関する解説パネル、三越日本橋本店の社屋の変遷がわかる写真などを設置しています。歴代当主が残した書画等の展示を通じて三井家の人たちの文化人としての姿を解説しています。

松阪ゆかりの老舗企業

小津清左衛門家と小津和紙、國分家と国分グループ、竹口家とちくま味噌。松阪出身の豪商であり、今もなお、日本橋界隈で活躍する企業をそのルーツやエピソード、近代における社屋の変遷など、取り扱い商品とともにご紹介。現代も受け継がれる商家のスピリットを感じられる展示としています。

松阪市産業振興センター

住所 〒515-0081 三重県松阪市本町2176
電話 0598-26-5557
開館時間 9:00~21:00(夜間使用がない場合は17:15まで)
休館日 毎週火曜日・12月28日~1月4日
(ただし、火曜日が祝日にあたるときは、その翌日が休館日)
入場料 無料
URL https://www.city.matsusaka.mie.jp/soshiki/35/matsusan.html

アクセス

公共交通機関をご利用の方】

市街地循環バス

鈴の音バス「よいほモール北」下車徒歩1分

JR・近鉄「松阪駅」から徒歩で約10分

三光バス「本町」下車

お車でお越しの方】

伊勢自動車道「松阪IC」から約10分

専用駐車場約50台

豪商のまち松阪ゆかりのスポット

中心部

広域